私が私を生きる
自分を生きる覚悟をする…
この舵を切って
初めのころに向き合うことになるのが
「自分の喜びって何だろう?」っていうテーマ。
Q 喜びってなんだ?
Q 楽しいってなんだ??
Q 本当はどうしたいんだ???
今まで楽しいと思っていたことが
急に馬鹿らしくなってしまったり
あれ?嬉しくない、って感じてしまったり
何がいいんだっけ?ってキョトンとしてしまったり。。。
人生真っ暗、私どうしたんだろう?このままでいいのかな?と
人生迷子状態に陥るんですよね。
他者目線、社会目線、常識的な物の見方・捉え方から
自分目線に切り替えたときに
自分の心や体感からくる動きがわからなくなっていることに直面する。
今まで(過去)のことも今まで通りに行動できなくなり
これから(未来)やりたいことも見つからず右往左往。
このようなとっても大切な時期を迎えます。
まずは、なんとかしようとせずに・・・
喜びも、楽しさも、幸せも、
その実感は「今(現在)」にありますから
今、この瞬間から自分の体感を伴う喜びを見つけに行きましょうね♪
たとえば、
気になっていたけれど、
なかなか出かけられなかったところへ足を運んでみたり
読みたいと思っていた本を手にとってみたり
お気に入りのティセットで好きな紅茶を飲んでみたり
やってみて、何を感じるのか?どう思うのか?確認していくことが大切です。
身体に沁みる喜び、
力が抜けていく緩む体感、、、
自分の状態を1つ1つ認知して脳回路をつくっていく。
この積み重ねの先に、
本当はこうしたいんだな〜っていう自分自身が
ふ〜っと湧き起こるように現れて、出会えるものです。
と簡単に言えてしまいますが
当事者にはそんな心の余裕なんてなくて必死なのも理解します。
なので、
以下のように考えてみてはいかがでしょうか?
理屈で理解しやすいやり方です。
「今の自分の真逆って、どんな人生?どんな喜び?どんな◯◯??」
バリバリ仕事をしたい、稼ぎたい、
理路整然と目指しているを実現して
カッコよく生きたい、と思っていた私ですが
実は主婦になりたい!と強烈に思っていた時期があります。
この表現はかなり偏見も入っていてズレているのですが、、、
みんなが美味しい!と言っていても
私が美味しい!と感じなければ
徹底して美味しいと言わない!と決めて過ごしてみたり
毎日、予定ぎゅうぎゅうに詰めて忙しく外出しているのが幸せ
ではなくて
毎日、お家でゆったり過ごしてみて、、、
生きているだけで幸せと感じられるようになったり
外食する方がごきげん!優雅!
ではなくて
自炊して新しい料理をつくってみる!
としてみて、自炊したお料理を食べたほうが美味しく感じたり。
真逆を考えてみて、やってみると
思考的な喜びだったのか
体感を伴う本当の自分の喜びなのか
その緒がみえてくるものです。
こんな真逆の発想で日常を見直していった後に、
毎日ゆるっとご機嫌に、直感的に過ごし
人間技では実現できない人智を超えた体験を
面白がって楽しんで生きていくのが私なんだ、ということに気づきました。
自分でやりたい!ということよりも
誰かにやって頂いて演出するほうが喜びだったり
誰かにやって頂いて仕事を動かすよりも
自分で動いた方が喜びだったりする人だっています。
外で働くより家事をした方が生きた実感を持てる人だっていますし
家事をしていた方が働くより喜びを拡げられる人だっているんです。
真逆に振り切ってみて初めて
本当の、身体が震えるような喜び、に出会えるように思います。
無償でお手伝いしたり、何かをプレゼントしたり、
人に何かを差し上げることが嬉しいと思っていた私ですが
実は、
仕事/お手伝いをする前にまず契約をする、とか
お金を受け取る、とか、プレゼントを頂く、とか
受け取ってから始めた方がすべてが円滑に展開していく、という現実。。。
自分の本当の喜びのベクトルを理解して行動した方が
自分の喜び以上に相手の喜びになっていた、という実証例が積み重なり
自分が体感で得られる喜びは、
今まで思っていた喜びと真逆だったというのは
驚愕としか言いようがありませんでした。
人って、、、人生って、、、
ある一定の時期まで
本来の生き方とは真逆を経験するように
設計されているのかもしれません。
真逆を経験して、
その環境で太刀打ちできなくなって
勇気をもって、覚悟を決めて、振り切って
未確定要素しかない本来の自分の道を歩む。。。
その勇気、覚悟、決意、は
あらゆる恐れ、不安、心配、懸念を超える必要があるでしょうし
その勇気、覚悟、決意、があって初めて
数々の支援・感動・機会を与えられ運ばれるように人生が動いていくのだと思うのです。
人生の転換期に出逢いを頂くことの多い私ですが
人生において実験・検証してきたことが
何かのお役に立てましたら幸いです。